プラスティック金型とオリジナル商品企画・開発の 株式会社 清田エンジニアリング

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清田エンジニアリングは、超精密な自社の<金型設計・製造技術>と商品開発における<斬新な企画力>を融合させ、
プラスチック素材をベースとした<オリジナル商品>を企画・開発しています。

 

ご挨拶に代えて・・・・・・

創意工夫の精神と飽くなき探究心

 

  株式会社清田エンジニアリングを舵取りをする船長、清田穂積社長。 いつもエネルギーに溢れ、そしてバイタリティーに富み、仕事は人の100倍をもこなすスーパー社長だ。


  東京オリンピックの翌年、昭和40年に若干16才で熊本県山鹿市より上京、育栄工業にて金型を学び、わずか24才で独立、有限会社清田金型を設立した。

 

  「なんてことはない、中学生の時、悪でケンカばっかりしててね。高校なんか行く気もなかったし、それで兄貴のいる東京にでてきたんだよ。大志を抱いていざ東京に、なんて大それたもんじゃないさ。」と当時のことを照れ臭そうに話してくれた。

 

  とは言うものの、24才で独立して会社をここまでにするのは並大抵のことではないと思うのだが……。

 

  「当時働いてた会社で、24才の時、工場長にしてくれって言ったらダメだと断わられたんだ。それでケンカして工場を飛び出した。その後、自分で機械買ってこの仕事を始めたんだ。たいしたことはないさ。」と会社設立当時のことを事もなげに話す。

 

  どうやら社長の成功の秘密はこの負けん気の強さにあるようだ。そしてなによりも特筆したいのは、社長の時代の先を見る目の確かさだ。

 

  「時代の流れさ。別に特別なことはしていないよ。これはいい、と思ったら考えるより先に行動するほうでね。このインターネットだって、その流れさ」
とにかく社長は決断が早い。そして、頭の回転がとてつもなく早いのだ。

 

  工場内の機械化は、常に時代の最先端を行き、自らも独学でコンピュータをマスターして三次元設計ソフトのCADを自由自在に操る。

 

  「俺は中学しか出てないから」という社長の言葉は、類まれな才能とたゆまない努力で生きて来た社長の力強い自信から生まれる……。大学を出てもろくな仕事ができない奴が多いこの世の中でこの言葉は一層重みを増す。社長はすべてにおいて天才的なのだ。田中角栄元首相がそうであったように、天才にとって学歴は単なる飾りにしか過ぎない。

 

  「もちろんコンピュータが入り金型の世界も様変わりした。だが、最後は長い年月で培われた金型の技術が物を言う。本当の意味でプロの職人にならなきゃこの仕事はできない。」とは、百分の一の誤差までは触っただけでわかるという達人の社長からの重みのあるお言葉。

 

  世界に誇る日本の技術力の土台を支える金型技術。その金型を生涯の仕事して愛し続ける清田社長。

 

  「若い人達には、もっともっと新しいことに挑戦してもらいたい。現状に満足するのではなく、あらゆることに興味を持ち続け、創意工夫し学んでほしい。そこからまた新しい技術なり仕事が生まれる。恐れることなく挑戦し続けること。そうすれば大きな時代の流れに呑まれることなく、自分の道を進んで行けるはずだ。」と、最後に熱く語ってくれた。

 

■ 代表取締役 清田 穂積 ■